被告にコストを押し付けた日本の裁判員制度

量刑が求刑の1.5倍という裁判員判決を不服とする上告に対し、2014年7月14日に最高裁が量刑は不当との判断を下した。日本の裁判員制度という仕組みを運用すればこの量刑の重罰化傾向は当然予期できる結果であり、もし量刑に対し何らかの指針を出すのだとすれば、制度自体の欠陥を指摘し、是正するものでなければなるまいが、最高裁は「これまでの傾向を変える量刑判断をする際には、従来の傾向を前提とすべきではない事情を具体的に示すべきだ」と注意するにとどめた。

 

新聞記事からすると、量刑判断には3人いるうちの少なくとも1人の裁判官が賛成していないといけないので、一番重い量刑判断した裁判官がダメダメでしたというところに落としたみたいだが、6人の素人裁判員が作る極刑やむなしの雰囲気を3人のプロ裁判官がどう飲み込むのか。全く無視するわけにもいかないしね。

 

日本の裁判員制度は、英国およびアメリカの多くの州が採用している、その事件限りの陪審員が有罪かどうかだけを判断する陪審員制度と、欧州で行われている任期制で選ばれた市民が量刑についても判断する参審制を無理矢理ミックスさせたものである。どっちかにしておけば良かったのにとしか言いようがないが、ようするに英米方式をそのまま採用すると日本の警察は大変まずいのである。

 

英米方式は、警察が違法な捜査をしていないかをチェックするシステムでもあるのだが、日本の刑事裁判の9割方は犯人の「自白」が最大の証拠なので、そこに焦点が当てられるのはかなりマズいはずである。「疑わしきは罰せず」の原則からしたら、自白以外に有力な証拠がない事件の場合、検察のシナリオが崩壊する場面はかなり出てくるのではないか。

 

これまでは「細かいことは裁判所で言えばいいから、この(俺が勝手に作った)調書にサインしろ」「自白をくつがえそうとすると印象が悪くなって、量刑が重くなるよ」のコンボで陥れてきた黄金パターンが使えなくなってしまう。まぁ、ほっとんどの場合、プロの警察の犯人を見る目は正しいと思いますがね。でもたまにね。高知白バイ衝突死事故とかあるじゃないですか。

 

和歌山毒物カレー事件も林真須美は犯人じゃないと思いますよ。彼女と事件当時同じ和歌山支社で働いていた小生の友人が「そんな事する人じゃ絶対ない」って言っていたことが根拠ですが。はっきりしないのに死刑ですか。そうですか。

 

これが「量刑を判断する」という名目で集められた場合、気分的に有罪は前提になってしまうんじゃないかなぁ。

 

市民感覚を量刑に反映させるには任期制の欧州方式の方が優れているのは分かりきっているいるけど、負担の大きさも桁違い。更に日本は成熟した市民社会とは未だ言い難いし、非効率的な働き方を強いられているから、普通のサラリーマンには厳しいし、非正規社員なんかには絶対ムリだよね。

 

結局、公正な刑事裁判のコストをどこが負担するのか。英米は警察が、欧州は市民社会が、日本は被告に負わせたということか。